さよなら100系2階建てフル編成
2003.8.31.定期運用終了
2003.9.16.臨時運用終了
(山陽区間ではその後もG編成の臨時代走があったとか?)
22003年10月ダイヤ改正に伴う東海道新幹線の全列車270km/h化により、
100系の16両フル編成は早めの引退を余儀なくされました。後継車両が
高速化と引き換えに、鉄道の長所たるべき「ゆとり」を削る方向に進んで
しまったため、多様な設備を誇る100系の引退は本当に残念に感じます。

2003.10.10.初稿。
2011.12.16.画像大型化、一部差し替え、改稿。(未完)

私の撮った100系たち 1986〜(中抜け)〜2003 
←1986.9.12.米原

この年6月から登場した100系量産車は、2階建て車を含む中間4両を抜いた暫定12連で、こだま運用についていました。
この日、名古屋から新大阪まで100系に初乗り!
こだま427号、123-2と乗車メモにあります。
0系から一気に20年進化した外観・車内に感激した様子がネガからも窺えます。
東海道・山陽新幹線といえば、0系がいつまでも改良再生産されていくもの・・・と半ば刷り込まれていた私の世代にとって、100系登場のインパクトは後の300系や500系登場時と比べ物にならないほど大きなものだったのです。

←1986.11.03.小郡

量産車は2階建て車を挟んで晴れて16連のX2〜X7編成となり、試作車のX1編成を加えた計7編成で、11月1日の国鉄最後の全国ダイヤ改正から、東京−博多間の最優等ひかりを中心に投入されました。

国鉄時代限定の「NS」マークつき2階建て車を、この時なぜアップで撮っておかなかったのかと今更ながら悔やまれます。
その後、JRになってから100系は大量増備され、全盛期を迎えたのはご存知のとおりです。
私もかなりの回数100系に乗りました。東京グリーン往復切符なる超お買い得企画乗車券を使い、
東京→岡山2階グリーン車と2階建て食堂車を満喫したことさえあったのです。
しかし、丁度その時期、私は写真から離れており、車内も含めて全く記録していないのです。(嗚呼・・・)。
岡山駅など4線全部100系などという状況も珍しくなかったはずなのに、全く撮っていません。
余りに当たり前の存在になりすぎて、いつでも撮れるさ・・・と高をくくっていたのです・・・
時は流れて、21世紀。

気が付くと東海道新幹線は300-500-700系と続く
次世代車両の天下となっていました。

100系と並ぶと、車体の小型軽量化が図られている
のがよくわかります。↑←

100系の東海道での余命があとわずかと知って、あわてて数少ない上京の機会に写真を撮るようにしましたが、体調不良もあって駅でスナップする程度。

私が東京駅で見送った最後の100系は西日本所有、G1編成使用のこだまでした。


2003.8.31.
この日新大阪19:19着のこだま425号で、100系の定期運用は終了しました。
G50編成(1992年製最終増備車)はピカピカで、とても引退する車両には
見えません。たぶん私と同じ思いで100系を出迎えた少数のファン達に
挨拶代わりの?警笛一声、回送列車となって闇の中へ消えていきました。
2003.9.15.小郡
9月13〜16日に設定された臨時ひかりが、東海道区間での100系フル編成最後の営業運転となり、16日はさよなら装飾と式典も行われました。
私は人の多そうな東海道を避け、15日博多→新大阪の1本のみ運転されたひかり556号を、17年前と同じ小郡で迎えました。
が!カメラのシャッター幕故障で撮れていたのはこの1枚だけ。停車中の編成写真も、500系に抜かれるDD(2階建て)車のカットも全て幻に…(号泣)
ひかり556号は広島で8分も停車するのんびりしたスジなので、計画どおり後続の700系ひかりで追い抜いて岡山へ先回り。しかし予想外の4番線発着だったため、こんな後追い写真しか撮れませんでした。
(これが最後とばかり思っていたら、西日本のG編成はその後も臨時代走で走ったらしいです)

これはG2編成なのですが、この角度ではDD車が見え難いので…↓。
山陽こだまで今後も活躍する6連K編成と見間違いそうです。

      さらに短い4連!のP編成もあります。編成後部が切れて残ったみたいに見えてしまいますね。
これら西日本の100系短編成こだま運用車は、徐々に新塗装化されています。
グレー基調で精悍な感じもしますが、ファンの間での評価はいまひとつのようです。
山陽こだまでは0系もまだまだ活躍しています。
おまけ:車内設備etc.

100系車内で印象深いのが、停車駅手前で点灯する残り距離カウントダウンです。なかなか便利で楽しい
趣向でしたが、後期製造の車ではメインの案内表示器が拡大されて、この装置は省略されていたと記憶
します。8次車から表示器の文字を大きくした(『新車年鑑』1991年版)とあるので、G32編成以降が該当
すると思われます。写真は2002年7月、西日本G編成使用のひかり174号での撮影。
下欄のグランドひかり食堂車にも残り距離マドが見られますが、メイン表示器がカラーLEDの豪華版です。
300系以降のアクの強い車内デザインに比べ、広々としてシンプルな面構成の100系車内は落ち着けます。
X・G編成普通車の茶or青の方眼模様のシート柄が懐かしい・・・。
G16編成以降に
設置された普通車のフットレストは残念ながら300系以降に継承されませんでした
食堂車の外観は撮り損ねてしまい、車内2景を↑。上は1996年正月、博多から新大阪行き最終のグランド
ひかりです。こんな時間の山陽区間列車で食堂営業していたとは、今となっては夢のよう…というより
食堂車自体が消えてしまいました。230km/h走行中。日本最速レストランの記録はもう更新されることは
ないのでしょうか。カメラのスイッチがパノラマに切り替わっているのに気付かず、こんな構図と相成りました。
下は1998年、
福山でのぞみ退避中のX編成でのティータイムです。仕切り壁の黒岩保美氏の手による
東海道歴代車両エッチング板は有名ですが、絨毯がNSマーク模様だったことを最近になって知りました。

2001年6月10日、小倉駅のフードコートでグランドひかり食堂車の椅子とテーブルを発見!
この席で筑豊ラーメンを食べるのは複雑な気分でした。
 

G編成のカフェテリア。全盛期はテイクアウトのビニール袋を提げた人々が
車内を行き来していたものですが…。2002年7月、1往復だけ残っていた
カフェテリア営業列車、ひかり174号での撮影です。     

2003.9.15.岡山駅の乗車位置案内板

10.1.以降は「2階建てひかり」は消えたのでしょうね・・・。

2003.8.31.新大阪駅(西日本エリア)
100系が泣いているように見えます…

2003.9.15.小郡駅在来線跨線橋にて
このタイプ、まだ残っていたのですね。10.1.の「新山口」駅改名後は?

NEW!ネガから発掘!、100系食堂車(涙)
1996.4.16.岡山駅上りホームにて。
大学鉄研の先輩OEN氏の結婚披露宴後、先輩諸氏と新婚旅行見送りの際のひとコマに写っていました・・・
車体左の車番表記が長いので、X1編成か!と一瞬思ったのですが、下り方(右)にDD車が
繋がっていることからグランド編成と判りました。
NEW!唯一のX1編成写真も発見?(涙)
同日の見送り後のコマに、100系塗り小窓越しの先輩のカットが!神戸帰りを見送ったものでしょう。
100系量産車にも一部小窓はありますが、その場合、窓上に自由/指定席表示の小窓があることから、これは幻のX1編成・・・なのだろうか?
記憶にないのが恨めしい。。。
0系ウエストにしては、車内のイスが?ですし・・・

この項を書いた3日後、全く思いがけず10年ぶり位に先輩ご本人と電話で話す機会が降って湧きました!
早速この件についてお聞きしたところ、X1編成で間違いないと昨日の事のように思い出していただけました。
「のぞみ」帰阪の上写真グループと別れ、ひとり「ひかり」を待った結果、この幸運にめぐり合ったとのこと。
恐ろしいようなタイミングで証言を得られ、只ただ驚くばかりです。(取材日2011.12.18.)

100系特集2に続く

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